アラサーADHD、会社を作る。
はじめまして。タカと申します。
5年前にADHDと診断されながら、今年8月に会社を設立しました。
同じくADHDと診断された方、自分はADHDではないかと疑い始めている方に、同じ苦労をしている人がいるのだと少し安心して欲しい。
そして、私の事業が成功しても失敗したとしても、見ていただいている方に少しでも勇気を与えて、また一方で反面教師にして参考にして頂ければと思い、今までのこと、これからのことを、ブログに綴ることにしました。
ADHDと診断されるまで
学生時代から、私はよく友人に「お前天然だよな」と言われ、自分でも抜けているところがあると思っていた。ただ高校では人なりに部活に打ち込み、勉強して大学にも入学し、大学1年でアルバイト先で彼女も作った。
市から助成金をもらいサークルを立ち上げるなど、特に天然であることにさほど真剣に思い悩むことはなく、人なりの大学生活を送っていた。ただアルバイトはどこも長続きせず、大学3年でファミレスに落ち着くまではよく転々としていた。
自分がポンコツだと気づいた1年
就職活動も大学でやってきたことを話し、早い段階で2社から内定をもらった。
そのうち一社、名の知れた求人広告の会社に、制作部として入社した。
画像や動画の編集は学生時代に身につけて得意だったし、新卒研修でのタイピングスピード試験では誰よりも早かった。自分に自信があった。ただ、それからの1年は自分が思い描いていた理想とはあまりにもかけ離れていた。
「なんで何度も誤字脱字を見逃すんだ、ちゃんと確認したのか?」
「ミスをするんだ、お前はポンコツだ」
「打ち合わせしたのになぜこんな記事になるのか。人の話を聞いていたのか?」
次第に営業から仕事を振られなくなり、喋るたびにコソコソ笑われたり、内線電話で電話が終わった電話先で笑われたり、飲み会では灰皿で頭を何度も叩かれた。
制作部は営業に自ら頼み込んで仕事を取らなければいけないというルールに変わった。当然自分には待ってても仕事が来なかったし、仕事をお願いしてもまたミスされても不安だから別の人に頼むなど、相手にされなかった。
他の同期はどんどん制作数を増やして、信頼と実績を積み重ねていくことに、焦りと不安だらけだった。
パソコンの前に座っても、何もアイデアが思いつかず、「日本語の文法って、これであってたっけ・・・」と、次第に日本語がゲジュタルト崩壊を起こすことが多くなった。簡単な文章も、何時間も時間がかかるようになった。この辺りで「自分はどこかおかしいんじゃないか?」と確信した。
ポンコツ新入社員、ADHDを知る。
真剣に思い悩んでいた時、ふと同じ悩みを持っている人がいないかインターネットで調べると、「ADHD」というワードが見つかった。
22年間、ADHDというワードを知らずに生きてきたが、症状を見ると、落ち着きが無い、簡単なミスをする、時間管理ができない、人の話を聞かない等、その特徴のほとんどが自分に当てはまった。
「これ、俺のことやないかい!」
入社した翌年の1月。休日にネットで見つけた神奈川のとある精神系の病院に行った。いくつかの簡単な医者からの質問を終え、「あなたは紛れもなくADHDですね」と微笑しながら言われた。
それからADHDを抑制する薬を処方され、早速帰って飲用すると、急に身体がものすごくだるくなった。また、トイレで用を足すのに、今までは違う違和感があった。翌日には飲むのをやめた。
そして2週間分、約1万円分の薬を、ゴミ箱に放り込んだ。